伊豆半島の平家の御家人、伊東祐親を祖とする伊豆家の系譜

 


伊東祐親墓所(伊豆幸次氏撮影)

武丸の善兵衛裏書の藩札


伊豆本店

「亀の尾」の再現記事


伊豆家のルーツは姓が示すように伊豆半島の伊東市で、平家の御家人で伊豆の国押領使であった伊東祐親(曽我兄弟の祖父)を祖としております。 

伊勢の国を経由して筑前に至り、大友家の筑前守護代として鞍手町新延に居館を構えていました。木屋瀬の寺院に伊藤備後守や伊藤蕃充等の先祖の名前が記された古文書が残っています。 

 大友家改易により宗像に移り赤馬宿に定着し農商となり名前も先祖の出身地である伊豆に改めました。 

 当初「油屋」と称しましたが、享保二年(1717年)に酒造株を取得し武丸にて、以後荒物屋酒造として今日に至り、伊豆本店は創業300年を迎える。 

 酒造・薬店・農地の地主のかたわら、庄屋・大庄屋を代々務めた。親孝行で有名な武丸正助の孫である源助が田一町一反余の年貢米を永年免ぜられていることに伊豆家の当主である善右衛門が深く感戴し、それ相応の田地を自費で数十町新たに開地し、溜池三所まで造り、納税した。その功により善右衛門は文化十二年に、黒田藩より三代の間三人扶持宛を賜わる。七代の善兵衛利通の時には、五人扶持となる。 

文明開化後の明治期においては、伊豆家より東大卒で鹿児島高等農林の伊豆直吉教授が出たが、先代当主伊豆善也氏の大伯父に当たる。 

家業の酒造りにおいては、近年の主力となる酒米は極上品種の「亀の尾」である。戦前に新潟の名酒として全国に知られたが病害虫に侵され消滅した幻の名酒を再現させたいと奮起したのは十一代目社長の伊豆善也氏である。 

 新潟農業試験場にまで行き、保存されていた種子を二百粒入手。七年の歳月の後に収穫に成功しました。一九八九年酒米をそのまま冠し、大吟醸「亀の尾」を復活させました。亀の尾で仕込む蔵元は東北・北陸を中心に全国で三十三社。九州では伊豆本店のみです。発酵した酒を目の粗い布袋に入れ、それを槽に積み重ねて酒をこす昔からの製法「槽搾(ふなしぼ)り」で醸造される大吟醸は、 関東や北海道など遠方からも注文が寄せられています。 

 宗中二四回卒の伊豆善也氏は家業の他、若き日に出光佐三氏に強く推され県会議員となり、七期に渡り活躍された福岡政界の重鎮でした。福岡県議会副議長として、また教育を中心に多方面に政治家として功績を残されました。

 そして、母校の宗像高校同窓会の第8代会長(平成7年5月~平成25年7月)として長きにわたり尽力いただき、母校の発展に大きな足跡を残されました。現在、後継として美沙子県会議員が活躍されています。

 

※伊東祐親(すけちか):[]寿永1(1182).関東伊豆半島の御家人の伊東祐親は平氏に仕え、源頼朝を預かり監視の役に就く。曽我兄弟の祖父でもある。

                                                           

昭和42年卒 伊豆幸次(郷土史研究家)