ふる里探訪


2017年7月、「宗像・沖ノ島と関連遺産群」が2017年のユネスコの世界文化遺産への正式登録が決定したことを本会関係者も等しく慶びとするところです。これに留まらず我々のふる里である”むなかた”と周辺地域は大和朝廷時代から今日に至るまで世界遺産クラスの神社仏閣や偉人を輩出してきた歴史と文化の地です。

 近現代に目を向けると「もうひとりの坂本龍馬」と称される幕末の志士、経済界のリーダー等々、そして現在の日本国民の命と健康を守る相互扶助制度の「国民健康保険」の制度創設を導いた「江戸時代から継承された保険の原理で機能する医事制度”定礼”」に代表される当地域の相互扶助の医の仕組みと文化は近代日本の医療と国民の健康改善に多大な貢献を果たしました。

 地元の世界遺産ブームの今、急速に増す情報量に埋没し次第に省察の暇を無くしがちな今、特に学窓を巣立って間もない若い同窓の皆様が普段耳にすることの少ない”ふる里の歴史や秘話”を知り先人の生き方来し方に触れることは長い人生において、そして遠く故郷を離れても永く心の糧となることと信じます。折に触れ掲載を致します。

(企画編集員)



宗像高等学校 宗像高校 宗高同窓会一同 御祝賀

 

「宗像・沖ノ島と関連遺産群、2017年ユネスコ世界文化遺産登録決定

「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群 の世界遺産推進会議発信 情報を下記にリンクしていますのでごください。


                          → 「宗像・沖ノ島と関連遺産群」世界遺産推進会議 

 

 

「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群

(画像クリック⇒PDFファイル)

 


 

宗像(むなかた)大社は、玄界灘に浮かぶ絶海の孤島である沖ノ島鎮座の沖津宮(おきつみや:御祭神 田心姫神 たごりひめのかみ)、筑前大島鎮座の中津宮(なかつみや:御祭神 湍津姫神 たぎつひめのかみ)、宗像市田島鎮座の辺津宮(へつみや:御祭神 市杵島姫神 いちきしまひめのかみ)の3宮を指します。 

 この3宮に祭られる3女神を奉斎したのがこの地の豪族「胸形氏」でした。胸形一族は航海術に優れた氏族でもあり、隆盛を得たのは胸形君徳善(むなかたのきみとくぜん)の娘である尼子娘(あまこのいらつめ)が大海人皇子(おおあまのみこ・後の天武天皇)妃となり高市皇子(たけちのみこ)の母となりました。 

 当時の大和朝廷は遣隋使や遣唐使の派遣など海外に開きその成果を国内政治に生かした時代でした。その対外交渉の一翼を担い貢献したのが胸形族で、その証が沖ノ島の祭祀遺跡(さいしいせき)です。当時の大陸との航路の中間に位置し航海の安全を祭祀した「沖ノ島」は4世紀末から9世紀の約500年間以上、国家的祭祀の聖地となりました。 

 大和朝廷にとって、中国大陸・朝鮮半島への窓口としての九州北部の地は不可欠であり、航海術に優れ玄界灘に勢力を持つ胸形氏との関係は必須条件であったとされます。

 宗像大社と地域により千数百年の間を通じて古来より関係者は「不言様(おいわ ずさま)」と口を閉ざし、その存在を秘匿し奇跡的に護り通された「沖の島」の祭祀遺跡からの出土品は8万点におよび全て国宝に指定され、「海の正倉院」と称されます。 

 遣唐使の廃止とともに国家的使命を終えますが、大化の改新・大宝律令の制定など国家の形成期において宗像の地と宗像大社の果たした歴史的意義は特筆すべきものでした。沖ノ島の宝物の考古学的意義のみならず歴史的価値の大きい古代の日本の国家的祭祀の貴重な姿を知ることができます。宗像大社の支社で同じく宗像3女神を奉じる広島県の厳島神社は1996年に世界遺産となりましたが、総本社である宗像大社も「宗像・沖ノ島関連遺産群」として2017年7月正式に世界遺産登録が決定しました。

 

宗像大社:全国各地に6千2百程存在する宗像神社の総本社。「伊勢神宮の大日靈貴(おおひるめのむち)」、「出雲大社の大己貴(おおなむち)」と並んで「道主貴(みちぬしのむち)」と称され、裏伊勢とも称されます。 貴(むち)とは最も高貴な神に贈られる尊称で、3社の一つが宗像大社の道主貴(みちぬしのむち)。「日本書記」

 

※宗像3女神:伊勢神宮・天照大神の御子神として誕生した三姉妹の女神。「古事記」「日本書記」に詳述 。

 

高市皇子:天武天皇と尼子娘の間に生まれる。持統天皇の元では太政大臣として朝廷で活躍。歌人としては万葉集巻第2 156~158番(高市皇子作の挽歌)収録 また、高松塚古墳の被葬者は高市皇子という説もあります。 

 

 (企画編集員) 



常礼医 高村医師 宗像高等学校 宗像高校同窓会掲載

日本国民の命を護る【国民健康保険】のルーツ

 

国民健康保険制度創設へと導いた江戸時代から続く宗像・福津地域の医の仕組みと知恵「定礼(じょうれい)」制度

 

最後の「定礼医」・高村直嗣(たかむらなおつぐ)先生の遺徳を称える

 

 



幕末の志士、「もうひとりの坂本龍馬」 早川 勇

 

早川勇 宗像高等学校 宗像高校 HP掲載人物 宗像同窓。宗同窓。宗像同。高校同窓。高校同窓会。

早川勇は同志と共に福岡藩、薩摩藩、長州版の築薩長三藩連合を画し、天下救済せんと志しました。元治元年9月筑前に来た西郷に会い三藩連合の要を説き西郷も大いに喜び、直ちに福岡52万石藩主の黒田公に拝謁し協力を懇請した。「薩摩・筑前・長州」三藩連合が成立していれば、維新はあと1年以上早く実現し、流血はもっと少なくて済んだと後日、早川は述懐している。



 

幕末の尊王攘夷派の公家(五卿)一行、百余名の赤馬滞在 

早川勇 宗像高等学校 宗像高校 HP掲載人物 宗高同窓会。宗像同窓。宗同窓。宗像同。高校同窓。高校同窓会。

文久三年(1863)京都において、薩摩藩・会津藩などの公武合体派が画策した八月十八日の政変により失脚した尊王攘夷派の7人の公家が都から追放され、からくも長州藩へと落ち延びた。さらに追われ五(1名死亡、1名別行動)は九州(黒田藩)へ向かう。途中の宗像・赤馬宿にて百人を超す貴人をとりまく集団が25日の長逗留をすることになり、地元・宗像は否応なく時代の荒波に呑まれることとなった。

 

 



孝子「武丸正助」さん

 

宗像同窓。宗同窓。高校同窓。高校同窓会。崇敬 正助翁。

 

武丸正助翁は、寛文十一年(1671年)に今の宗像市大字武丸の土師上(はじかみ)というところで生まれました。宝歴7年(1757年)没。江戸時代、福岡藩内にとどまらず、徳川幕府編纂の「孝義録」にて広く全国に紹介された「孝子正助」翁。「親孝行」の多くの逸話に通底する「理性を持ち、且つ、他者への愛とやさしさ、責任感、寛容さ、忍耐」などの普遍的価値の体現者として時代を超えて人々の敬愛を集め、現在もなお愛されています。

 



宗像阿弥陀仏経碑(重文)の由来とその真実

阿弥陀仏経碑

宗像大社に伝わる重要文化財である阿弥陀仏経碑「宗像軍記」や貝原益軒の「筑前風土記」にて広く知られ由来が定説化していました。しかし、近年その定説は覆り真実が判明しました。

 



伊豆国伊東の豪族、伊東祐親を祖とする伊豆家の系譜

高校同窓会。高校同窓。宗高同窓。

宗像の伊豆本店の伊豆家のルーツは姓が示すように伊豆半島の伊東市で、平家の御家人で伊豆の国押領使であった伊東祐親(曽我兄弟の祖父)を祖とします。

幾多の時代の変遷を経て、享保二年(1717年)に酒造株を取得し、宗像の武丸にて荒物屋酒造として創業し、伊豆本店は此の地で300年目を迎えます。



「落武者の名は?~四百年語り継がれた眞田の伝承」

宗像高校同窓会 福岡支部 宗像高等学校 HP掲載写真 伊豆参謀 宗同窓

400年以上前に落武者であったわが眞田一族は、その後は「眞田」の名を伏せて別の姓に改め、宮田や原町で庄屋、医者、酒造業などを営み、幕末を迎えた。中でも、一番永く続いている家に、江戸時代で一番古い先祖の名が伝わっている。その名は「眞田善右衛門」である。

 

 



明治日本の国運を賭した日露大戦の激闘、旅順203高地攻略戦を支えた伊豆凡夫(つねお)参謀 

宗像高校同窓会 福岡支部 宗像高等学校 HP掲載写真 伊豆参謀 宗同窓

司馬遼太郎の坂の上の雲の内容と史実はかなり異なり、世界の軍事関係者は欧州の最強陸軍でも3年を要するとされた難攻不落の旅順要塞を日本陸軍「乃木希典(まれすけ)大将率いる第三軍」がわずか4か月で陥落させた勝利に驚嘆し、それは欧州列国の戦術の転換を要求するほどの出来事であった。それを支え活躍した伊豆凡夫(つねお)参謀(宗像郡赤間町冨地原出身)が其処に居ました。

 



「津屋崎千軒」についての考察

宗像高校同窓会 福岡支部 宗像高等学校 HP掲載写真 伊豆参謀 宗同窓

大学時代と就職して暫く地元から離れていたが平成元年以降現在まで津屋崎在住である。ところが、成人して再度津屋崎に住み始めるまでの間、この「津屋崎千軒」という言葉は聞いたことがない。「藍の家」が平成6年に当時の津屋崎町へ寄贈されているので、おそらくその前後から、この名称が使われだしたのだろう。「津屋崎千軒」の主なコースは天神町から新町・北を通る約1キロの通りである。

 

 



関連サイト











関連資料(参考)


宗高同窓会。宗像同窓。宗同窓。宗像同。高校同窓。

花田 勝広氏『日本考古学協会会員 文学博士:宗像出身で奈良大学で考古学を学ばれ現在、滋賀県野洲市教育委員会(野洲市歴史民俗博物館)』による論考。 -平成29年-「むなかた電子博物館」

1 出光佐三翁と宗像郷友会

2 宗像地域における黎明期の遺跡発掘調査

        (画像クリック⇒PDFファイル)

 


宗像の島々・小呂島、沖ノ島、大島の歴史と地誌

        -平成23年-

服部英雄    九州大学大学院比較社会文化研究院教授

       (画像クリック⇒PDFファイル)


 

宗像地域における古墳時代首長の対外交渉と沖ノ島祭祀

       -平成23年-

重藤輝行   佐賀大学文化教育学部講師

      (画像クリック⇒PDFファイル)



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